ゲド栓記 第一話 「竜」

マンハッタンの朝は早い。

この街に住んでいる人の朝が早いのもある。だが、それだけではなく、街自体の忙しない発展がそれをさらに加速させている。


ニューヨーク市の中心区である、このマンハッタンは、アメリカが誇る、最先端の象徴と呼べる巨大都市地区だ。

高層ビルが立ち並び、通りには各界の一流企業の店が軒を連ねる。ファッション、ビジネス、その他諸々の文化・経済の発信地で、アメリカの中心地であることは間違いない。まあ、ロスの人間は反論するかもしれないが。

幾度となく想像と破壊を繰り返し、また頻繁に人の手が加えられているその町並みは、洗練され美しかった。

もちろん自然の景観のような悠久を感じさせる美しさとは違く、人工的な美しさであって、心が安らぐような美しさではない。
寧ろ漠然とした切迫感にも似た感情を呼び起こす、儚い印象を見るものに与える光景で、さながら砂の城のようだった。

騒がしく華やかだが、どこか脆さを備えている、マンハッタンはそんな街だ。


街の南側にバスターミナルがある。このターミナルは各方面へとバスを走らせ、東西南北を網羅しているのだが、特に本島との便が多い。
市民の主要交通手段としてマンハッタンではバスの利用頻度が高く、バスターミナルはいつもだいたいごった返している。朝でもそれは変わらない。マンハッタン本島から来る勤め人も数多く、無論、圧倒的に朝に乗車する人が多い。そのため本島との往復便の比率は多い。


今はAM:07時30分。通常、この時刻には、マンハッタン本島の空港から出発したバスが到着する。

すると、ほとんど時間のずれなく定刻どおりにバスがやってきた。
バスはゆっくりと停車した跡、車体のどてっ腹にあるドアを両方向に折りたたむ。

そして充分にドアが開いたところで乗客が一斉に降り出した。
ほとんどがスーツ姿の会社員の風体の乗客だった。


すぐに降りる客もぽつぽつと少なくなり、バスは胃の中を空っぽにした様子だった。

だが、バスはドアを閉めない。まだ、誰かいるのだろうか。ドアが開いてから、すでに1分は過ぎている。

もしかすると、ひどく足腰の弱い老人がのこっていて、ぶつくさ悪態をつきながら着々とドアに向かっているのかもしれない。そうでなければ、少々ビールを飲みすぎで、目覚めが悪くなった男性がいて、ちっとも起きないのかもしれない。



しかし、そのどちらでもなかった。


バスから最後に降りた人物は、老人でも酔っぱらいでもなく、寧ろそんな事とは無縁そうな青年だった。実に恵まれた体躯の持ち主で、存在感に満ち溢れていた。

顔は精悍そのもので、見る者を強烈に惹きつける。
その独特な顔は、マンハッタンではあまり見ない人種、東洋人に見える。

だが、チャイナタウンに住んでいる東洋人とはまた少し違う。


青年はゆったりとした足取りでバスを降りた。すると地図を取り出して、方向を確認した。

どこへいくつもりなのか。


しばらく地図を見た後、青年はまた、バスを降りたとき同様のゆったりとした足取りで歩き出した。もう進路はきまっているらしい。

その足は一直線にマンハッタンの中心地へと向かっていた。














「おいゲド、署長が呼んでたぞ。至急来いってさ!はやいとこいってやれ!」


一人の警官が大きな声でそう伝える。


「まったく・・・!このクソ忙しい時になんだってんだ!?ウィルコック、お前じゃだめなのか?」


ゲドと呼ばれた男は大声で返事とも怒声とも取れる言葉を返した。

彼の名前はゲド・オリバース。ここ、ニューヨーク市警35分書の刑事だ。敏腕で有名な刑事である事から、彼の名は、署外にも轟いている。


猛烈な忙しさの最中だ、ゲドのデスクには書類がわんさと積まれ、さっきから電話はひっきりなしに鳴っている。いつゲドも外に出る事になるかわからない状況だ。

35分署は朝から大忙しだった。それと言うのも、どこかの酔っぱらいが運転をしくじり、トラックを横転させたからだった。

元々マンンハッタン、及びニューヨークは治安の良い街ではない。昔よりは改善されているが、警察の稼働率は合衆国内でも高く、残念ながら警官の殉職率も高い。

35分署は担当している区域が広いくせに警官の数は他の署と変わらない。

つまり平常時でも忙しい署なのだ。


そんな時に署長はいいから来いと言う。
ゲドの言葉にトゲがあったとしても仕方ないかもしれない。まあ、ウィルコックに当たっても仕方がないのだが。


するとウィルコックはすかさず、言葉を返す。どうやらゲドがそう言ってくると予想してたようだ。


「署長はお前さんに用があるんだってよ、頼みたい事があるとかって」


ウィルコックの言葉には、やや笑いが含まれていた。この恰幅の良いウィルコックという警官は、たまに人の神経を逆なでする癖がある。
それも自覚しているから始末が悪い。人の嫌がる様を見て楽しんでいるのだ。


ゲドは毒づいてやろうと一瞬考えたが、やめた。疲れるだけだと気づいた。ウィルコックと言い合っても結果はわかっている。
ゲドとウィルコックとの付き合いは長い。ゲドは彼の事を良く知っていた。
蜂の巣をつつくようなものだったのだ。


「あぁわかったよ!伝言ごくろうさん」


ゲドはすこし力が抜けたようだった。


「ふぅ・・・頼み事ねぇ・・・」


ゲドは溜息をついた。あの署長の頼み事だ。どうせロクな事じゃないだろう。今まであの喰えない爺さんの頼みってやつを4回程ゲドは引き受けた事があったが、4回全てロクなもんじゃなかった。その事を思い出してゲドはげんなりした。

ゲドは優秀なデカだ。多少乱暴な面もあるが仲間からの信頼は厚い。ことさら署長からの信頼は特に。


「やれやれ・・・」


結局、ここのボスである署長の頼みとやらを聞かないわけにはいかず、ゲドは一人、観念した様子で署長室へ行く事にした。




署長室に入ると、署長の他にスぺイダー刑事も一緒にいた。ゲドはこのスペイダーが苦手だった。悪いやつではないとは思うのだが、真面目すぎる。

スぺいダーは、デスクワークが大好きな勤勉な男で、絶えず書類を持ち歩き、一日の大半をパソコンの前で過ごすような刑事だ。その分、彼の拳銃はおとなしい犬のようにホルスターの中で眠りこけていた。

彼は、羽目を外す事が多いゲドを何かと軽蔑視する事も多いのだが、その理由以外にも何かよそよそしい態度を取っていて(ゲドは対して気にしてはいなかったが)なんともやりにくい男だった。


デスクには署長。ここのボス、ベリンガー署長だ。元は刑事で、叩き上げで現在の地位まで上り詰めた人物。もし署長がキャリアだったらより上の地位に就いていたに違いない。
ゲドはこの署長を尊敬している。人格も素晴らしく、署の人間は畏敬の念を署長に抱いている。

ベリンガー署長は休日に釣りに行くのが大好きで、休日のほとんどはイーストリバーの釣り場で過ごす。

一度ゲドも一緒に行ったのだが、ゲドからしたら、釣りのセンスはなさそうに見えた。なんせ、まったくかからないポイントで釣りを始め、夕方まで竿を垂らせたまんま、一匹も釣れないでその日は終わったからだ。
それでも署長は満足そうだった。掴みきれない、不思議な人でもあった。


署長はゲドを見やると、開口一番、こう言った。


「ゲド刑事。頼みがあるんだ。署長として」


いつもどおりの台詞だった。署長はいつもこの台詞から話を切り出し始める。ゲドはいつものように顔色一つ変えず、眉を上げ促した。

この横柄な態度にスペイダーがムッとした顔をしたが、ゲドは気にしない。署長もゲドの仕草を気にしてはいない。ゲドと署長はフランクな関係であったから。


「今日、日本の警察から一人、刑事が署に来る。目的は研修だ。滞在は一ヶ月。それでだ・・・・ゲド。お前には、この日本の刑事のお守りをして欲しいんだ」


ゲドはそれを聞いた瞬間、苦虫を噛んだような表情をした。
やっぱりロクなもんじゃないな署長の頼み事は。ゲドはそう思った。

署長はそんなゲドを見て楽しげに続けた。


「まあ、そんな嫌そうな顔をするなゲド。資料を見るとこのデカ、かなり優秀な男のようだぞ。お前さんの邪魔者にはなるまいとは思うんだがな」


「しかしですね、署長。ご存知だとは思いますが、俺は今でかいヤマを追っています。はっきり言って一人で動いた方が今はいいと思うんですがね」


ゲドは半年以上も前から、地道に捜査を続けているヤマがあった。今、その捜査は大事な局面に入っており、単独での捜査のほうが良いとゲドは考えていた。


「まあそう言うなゲド。四六時中、世話をしろとは言っていない。ある程度は放っておいても構わんから」


「しかし署長!俺には・・」


コンコン。


その時、署長室のドアをノックする音がした。


「ベリンガー署長に会うよう上から指示されて来ました。入ってもよろしいですか?」


ドアの外から丁寧な英語が聞こえた。流暢だが丁寧すぎるその英語は、アメリカ人のそれではないとゲドは感じた。同時に、この声の持ち主が日本の刑事に違いないとも思った。

スペイダーがチラっと署長を見ると、署長はうなづき、その合図を見て取ってスペイダーがキビキビとした動きでドアを開ける。その動作は演技がかって見えた。


ガチャ。


ドアの前には長身の青年がいた。

まだ若く見える。30は越えていないだろう。見事な体格をしていて、その姿から途方もないエネルギーを感じ取れる。

顔は見事に整っていて、揺ぎ無い自信に満ちていた。署の女性警官にさぞ歓迎される事だろう。

そして、なによりも印象的なのは眼だ。意思の強そうなまっすぐな眼。異国の警察にも関わらず少しの気後れも感じていないのが見て取れる。


ゲドは暫し圧倒された。日本人と聞いて、短絡的に映画などで見られる、ひょろひょろの眼鏡をかけた日本人を想像していたからだ。


署長が口を開く。


「私が署長のベリンガーだ。君が日本の警察からやってきた、・・・ふーむ(資料をチラリと見て)・・・タツ刑事だね?」


「はい。タツ ウチウミ刑事です。よろしくベリンガー署長。」


「ようこそ、マンハッタンへ、ウチウミ刑事。すまんが、どちらの名前で呼んだほうが良いかな?刑事」


「タツで、お願いします」


「うむ、タツ刑事。では紹介しよう。ドアを開けたのがスペイダー刑事だ、彼は総務の担当なので、なにかと世話になる筈だ。覚えておいてくれ。そして、(ゲドを顎で指して)彼がゲド刑事だ。このゲド刑事が君の相棒になる。わからない事はゲド刑事に聞いて教わってくれ。まあ二人とも仲良くな。さて、タツ刑事。到着して早速で悪いが、すぐに仕事にかかってもらいたい。マンハッタンのド真ん中で横転をした迷惑なトラックがいてね、その現場に向かって欲しい。ゲド、じゃあ頼んだぞ」


もう話は終わったとばかりに、署長はデスクに乱雑におかれている書類に眼を通し始めた。


ゲドはタツを見た。タツもゲドを見ていた。


「んっと・・・じゃ、いくかい。タツ刑事。えーっと、まずは、俺の事はゲドって呼んでくれ。それで構わん。形式ばったのは嫌いなんでね」


ゲドはやや大きな声で言うと、スペイダーをからかうような眼で見た。スペイダーは鼻をフンッと鳴らし、所長室を出て行った。まったくわかりやすい男だ。


タツは一度頷きこう言った。


「はい。わかりました、ゲド」


「あ~~その丁寧な英語もやめてくれないか?もっとこう、くだけた感じでいいぜ」


少しタツは考えた様子だったが、ニヤリとニヒルに笑い「オーケイ、サー」と答えた。


「フフッ。それでいい。じゃあ行くか。」


二人は所長室を出た。


「さてと・・・覚えてもらう事はいっぱいあるからな、覚悟してくれよタツ。なんせ何時でも人手不足だからな」


「お手柔らかにお願いしたいね」とタツ。


「まずはここの決まり事を教えておくよ・・・・」


歩きながら二人はそんな事を喋っていた。その内に外へ出て、車に乗る。


車に乗ってる最中も、ゲドは仕事についての話をしていたが、途中、興味が湧いた事があったのでタツに聞いてみる事にした。


「タツ。日本語でタツってのはどんな字を書くんだ?」


ゲドは日本語などさっぱり解らなかった。だが、タツとのコミュニケーションを図るためと、職業病とでも呼べる癖でゲドは知る必要があった。

刑事という職業は、情報が大切だ。どんなことでも記憶に留めておく良い。思いがけず役に立ったりする。時には己の命を救う場合もある。長い経験に基づいて、ゲドはそれを知り抜いていた。


タツは一瞬戸惑ったようだが、メモを取り出しさらさらと書き始めた。

書いた字をゲドに見せる


『竜』


「それでタツって読むのか」


「ああ。この字は日本ではドラゴンの意味を持つんだ。自分でも気に入ってるよ」


「なるほど、ドラゴンか。そいつぁまた強そうな意味の名前だが、タツにはぴったりかもしれないな。俺から見ると、お前さんはドラゴンでも倒しかねないぜ」


ゲドはそう言うと、タツを一瞥した。


現場に着くまでの間、様々な事をゲドは喋ったり聞いたりした。

巧みな話術だった。無理に聞き出そうとはしない。かと言って答えを待たず話を切り上げもしない。すこし間が空いたらゲドは珍妙な話や、仕事での笑える話をしだす。大したものだった。

ゲドの打ち解けやすい人柄もあるのだろう。
二人は急速に理解を示しあっているようだった。



そんなやり取りをしていると、その内、遠目からでも野次馬で溢れかえっている場所が眼に映った。事故現場に違いない。


「現場が見えてきたぞ。さーて、早いとこ片付けて友好の証に一杯いこうじゃないか、なあタツ」


「そうだな、ゲド」



車を止め、事故現場に立つ二人。




こうして今日も騒々しいマンハッタンの一日は過ぎていく。










後にゲド栓記と呼ばれるこの物語は、ゲドとタツ、二人が出会ったこの日、刻まれた。


まだ彼らは知らない。数日後、金と暴力が渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれる事を。





続く